社会教育の変遷2
戦前の社会教育は、国民教化としての社会教育であった。教育は優先的に国家の維持と発展の手段と考えられていた。国民教化は通俗教育であることには変わりはなかった。大正期に入ると、文部省の用語が「通俗教育」から「社会教育」に改められた。また社会教育主事、主事補が設置され中央と地方の社会教育行政機構が確立した。大正時代は、自由な教育への関心や国家主義への批判・教育制度への批判もみられた。しかし、国家教化の教育体制が強力であったため、国家主義的な動きに巻き込まれていった。我が国の社会教育は明治以来、学校教育中心の教育体制のもとで学校教育の補完という役割であった。↓戦後の社会教育は、戦前のものからの脱皮から始まった。戦前の教育は国家主導で国民を教化する手段として利用されてきたが、社会教育もその例外ではなかった。国及び地方公共団体は環境を醸成する諸条件の整備に徹し、図書館・博物館・公民館などの社会教育施設を設置しその充実に努めなければならないとし、社会教育内容に行政は干渉するべきではないとした。民主主義に従った社会教育活動として、昭和21年に公民館が設置された。それにつづき、社会教育法・図書館法・博物館法が相次いで制定された。社会教育行政を戦前の教化団体による啓蒙としてとらえるのではなく、住民の学習活動への援助としてとらえるべきとした。また、戦前にはなかった通信教育が制度化された。 昭和に入り、社会教育は転換期を迎えた。社会教育が安定を得たが、同時に高校進学率の急上昇にともない勤労青年が減っていったためである。また、社会の情勢も大きな変化を見せた。このような問題を抱え、家庭教育・学校教育・社会教育の三者を統合する生涯教育の提唱が昭和46年に出された。文部省は生涯学習局を新設し、生涯学習は行政の政策課題となった。社会教育も学校教育も生涯学習体系の中に位置付けられた。また他の省庁からの支援もあり文部省の施策だけではなく、国全体の施策になっていった。生涯教育は人生のそれぞれの段階で、学習機会が継続的に確保されるように統合されるべきである。社会や経済の発展に伴い、その対応に従来の学校教育だけでは追いつけなくなった。生涯教育という発想から学校教育中心の学習支援システムを見直し、新しくシステムを作り直そうとする考えである。中央教育審議会の「生涯教育について」(昭和56年)の答申では、「各人が自発的意志に基づいて行うことを基本とするものであり、必要に応じ、自己に適した手段・方法は、これを自ら選んで、生涯を通じて行うものである」と規定している。
日本を変える教育
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