0328 膀胱ガンとつきあう(2)



  CTの画像を見せられながら「この白く点々と見えるのがガンです」と説明されたとき私は不思議と平静でした。
 私の父は72才、長兄は75才、いずれもガンで、弟は急性白血病で死んでいます。弟は60才でした。私は目下76才、父や兄より長生きしました。いずれは確実にあの世行きになるわけですが、死因は恐らくガンということになるだろうなと漠然とした予感があったからです。来るものが来たかという感じでした。

 実は年一度の健康診断で尿潜血が見つかったのは今回が初めてではありません。去年がそうでした。しかし、泌尿器科がある病院で検査を受けていながら再検査の必要がなかったということは、ガン細胞はこの一年で急速に成長したということになります。
 ただ0321に書いた通り私は体温が低い体質です。低体温がガンの温床になるということは石原結実先生の本で知ったことなので念のためこの一年は食生活と体温向上には随分神経を使ってきました。それでもガンが出て来たので正直言ってかなりガッカリしました。「あれだけやっても出るものは出るんだな」というところでしょうか。

 無病息災だった父が突然にガンと診断されて、治療らしいことは何一つできないままに2ヶ月であっけなく他界してから「ガンとはなんぞや」ということを徹底して勉強しました。京都の中村菌研究所を始め、治療法を求めて随分あちこち渡り歩いたものです。
 兄が前立腺ガンで入院したとき、私はセカンドオピニオンとして川越の帯津先生か甲府の佐野先生の診断を受けることを勧めようとしました。第一地元の倉敷市には生き甲斐療法の伊丹先生がおられたのです。うまく行ったら生き延びられたかも知れないと今でも無念に思います。しかし、彼は一度入院した以上は義理が立たないという彼らしい論理で現代医術に身を委ね、外科手術→抗ガン剤→放射線と型どおりの道を辿って死にました。

 私は抗ガン剤と放射線は忌避するとしても外科手術を受けることを受け入れたのは内視鏡で全部取れるという医師の自信があったからです。でも、実際にやってみたら取り切れない部分が残りました。これは内視鏡の構造を考えれば死角ができることは当然予想されます。如何にCTで撮影したからと言って完璧を期すことは難しいことなのでしょう。とにかく取れる限りのものは除いて下さったと言うことで主治医には感謝しています。

 しかし、内服の抗ガン剤、そしてその後の膀胱への直接注入のための再入院を示唆されるとなると事情は違ってきます。ガンは自らが作る病気ですから治すのも自己責任ということになりましよう。私は腹を据えました。退院前日の私の日記に今後の闘病計画としてこう書いてあります。

A.ガン細胞が休眠できる環境を保持する
 イ、体温を36.5度以上に保つ
  @腹巻き使用
  A就寝前ヘソ温灸器使用
  B努めて風呂に入る
  C腕振り体操一日3000回。毎日5000歩以上歩く。不足分はスクワットで補う
  D生姜湯と梅醤湯を積極的に飲む
 
 ロ、ガン細胞に余分の栄養を与えない食生活を守る(石原先生の原則に従う)
  @朝は人参とリンゴのジュースのみ
  A昼はなし
  B夜は玄米と野菜による純日本食に限る。体温アップの必要上塩分は十分に摂る。


B.積極的治療法として
 イ、美ねら水(野生植物ミネラル濃縮液)を積極的に摂る
 ロ、バイオラバーを四六時中腹巻きに入れる
 ハ、タイループを通じて大祓祠と般若心経を磁気として体細胞に聞かせる
 ニ、積極的に笑うことを心がける(スマイルウエーブ購入など)   以上4月27日記 

 

 

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